1 微積分の歴史的意義②
 中世数学のもう1つの特色は、“静止”や“不動”が尊重され、“運動”や“変化”は学問の対象とはなりえない“悪しきもの”とされていたことです。古代・中世の人々が、運動や変化に思いをめぐらさなかったわけではありません。しかし、それらを厳密にとらえることはとても難解で、中世の数学者の手にあまるものでした。
 この辺りの事情をものがたる1つの例として、ゼノン(Zenon B.C.490~429)の背理があります。「運動とは有限の時間に無限の点を通過することである」と定義づけます。ゼノンはするどい論法で「量は無限に分割できる」という想定から、「俊足のアキレスでも亀に追いつくことができない」とか「弦をはなれたどんな矢も的まで届かない」とか、奇妙な結論を引き出します。
 その1つ1つの論法には誤りがないように見え、しかも明らかに経験的事実に反する結論が導かれます。この背理は、連続量を無限に分割していって究極に到達するもの、つまり、“無限小”を一定の大きさを持つ固定した量とみることからおこったと考えられます。
 近代数学では“無限小”を「0に収束する変数」として動的にとらえます。しかし、“静止”を重んじる中世の数学者たちは、このような視点をとることができなかったのでしょう。彼らは、この背理のあやしいところは、無限を扱うことにあると考えました。このようにして、彼らの論理から、運動、変化と並んで無限という考えが排除されることになるのです。

1 微積分の歴史的意義②